静岡県浜松市出身 ヴァイオリニスト 伊藤衣里さん
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京藝術大学音楽学部を卒業。現在は地方、都内のオーケストラの客演や、介護施設、小学校でのアウトリーチなどの活動をしている。
第12回、14回日本クラシック音楽コンクール 小学校の部 全国大会入選。第26回 静岡県学生音楽コンクール 弦楽器部門 小学校の部 第2位。第20回 全日本ジュニアクラシック音楽コンクール本選 弦楽器部門 高校生の部 優秀賞、全国大会 第2位 (1位なし)。及川音楽事務所第40回新人オーディション 最優秀新人賞 (第2位)。
これまでに金原珠子、大谷康子、漆原朝子の各氏に師事。
Academy Customizeでは門前仲町教室での対面レッスン・出張レッスン・オンラインレッスンをしています。 ヴァイオリンラボ (オンラインサロン)では、テクニックを強化するグループレッスンも担当してくださっています。
前編: 音楽との出会い、中編: 藝高での生活を先にお読みください。
#3 音楽家として生きるということ
藝高生活の終わりには藝大(東京藝術大学)の入試がありますが、藝高生にとってはそこまで大変ではなかったですか?
いやいやいや。簡単なんてことは全くないです。
藝大入試の準備はいつ頃から意識してされていたんですか?
いつ頃からかな…
毎年先輩たちが受験するのを見ていたので、その時期になると意識していたかもしれないですね。
ただ、課題曲が出るまでは入試のために特別に何かやっていた意識はなかったです。
朝子先生門下は毎月試演会があったので、その都度課題や曲に向き合っていた感覚でした。
自分の演奏技術を磨く延長線上に藝大入試があった感じなんですね。藝大入試で印象に残っていることはありますか?
とにかくセンター試験が嫌でしたね。元々すごく勉強が好きだったわけではなくて、藝高に入ってさらにおざなりになっていたので、「いきなりセンター試験で7割とりなさいと言われても…!」と思いました (笑)
公開実技試験の後ぐらいから、授業でセンター試験の過去問を解かされました。塾に通っている子たちもいましたが、私は塾に行きたくなかったので、とりあえず教材を活用したり、過去問を解いたりしていました。冬休みはひたすらセンター試験対策をしていましたね。
実技試験はいかがでしたか?
課題曲のパガニーニのカプリス9番は「苦手だな」と思っていたので、克服するチャンスだ!と思いました。プロコフィエフの協奏曲1番は弾いたことがなかったのですが、とても好きな曲だったので楽しく準備できましたね。結果を出したいというよりは、まず楽しみたいという感覚でした。
レッスンでは、拍を感じにくいからと歩きながら弾いてみたり、いろいろなバリエーションをつけたりしながら課題を段階的にクリアしていきました。
入試の前には学校の実技試験で課題曲を弾く機会があったので、試験当日は落ち着いて弾けたと思います。外部の子はセミナーに参加したりすると思いますが、学校で入試さながらの練習ができたのはありがたかったですね。
場慣れをしていること、また身近に一緒に入試を受ける仲間がいることはすごく心強いですよね。
そうですね。そういった意味では藝高受験の方が私はしんどかったかもしれません。
小学1年生の時からなんとなく藝高や藝大を意識していたというお話しがありましたが、実際に行って良かったなと思うことはありますか?
やはり身近に上手い子たちが沢山いるということですかね。
地方にいたままだったら、こんなに本気で音楽と向き合っている同年代の人たちに出会えなかったと思うんですよ。私よりもっとバリバリコンクールを受けてきたような子たちと国語の授業を受けたり、体育でテニスをやったり、彼らの日常生活に関われたのは刺激的でしたね。
逆に藝高や藝大で「もっとこれをやっとけばよかった」と後悔していることはありますか?
勉強ですね(笑)
なんでですか!?
元々苦手で、とりあえずテストで悪い点を取らない為だけに勉強していたので、もう少しあの時勉強していればよかったなと思いますね。
伊藤さんの経歴を見ると、大きな失敗をした経験がないように見えますが、挫折を経験したことはありますか?
コンクールも受かったり落ちたりで嬉しい思いも悔しい思いもしてきてはいましたけど、確かに大きな失敗はあまりなかったかもしれませんね。
でも学校の試験でもやっぱり評価は気にしましたよ。周りが上手い子たちばかりだから、自分はダメなのかなと落ち込んだこともありました。
受験に落ちるといったような目に見える失敗はなかったけれど、自分の中で納得できない感覚があったんですか?
そうですね。むしろそういった経験の方が今でも多いかもしれません。
今でも仕事で「今日は上手くいかなかったな」と落ち込んだりしますよ。
そうなんですね。では伊藤さんにとっては他者評価より自己評価のほうが大切なんでしょうか?
いや、他者評価も気にします(笑)
試験の講評を同級生たちは積極的に色んな先生に聞きに行っていたけれど、私は聞く勇気が持てなかったんですよね。それも藝大時代の後悔の1つですね。自分から聞きに行かないと先生からわざわざ来てくださるわけないのに、「否定されたらどうしよう」が勝ってしまいましたね…。
試験やお仕事で思い通りに弾けなかった時は、どうやって次につなげていますか?
色々なパターンの原因があるので、答えはないですよね。
でも今は、どんな結果であれ経験をできることがありがたいと思うようになりましたね。コロナパンデミックがあって、よりそう思うようになりました
藝高に入ってもちろんいいこともいっぱいありましたが、みんなの当たり前のレベルが高くて少し苦しかったんです。調子が悪くても、普通の人の当たり前以上のことができてしまう人がゴロゴロいたので…
私は結構気分やコンディションに左右されてしまうので、最低ラインを上げなきゃという強迫観念がありました。元々は曲を楽しみたいとか、こんな表現をしたいという思いがあったはずなのに、まずは完璧に弾けないと、という考えが無意識にあって、今になってみるとそれが結構苦しかったんだなと思います。
そこからどのようにマインドチェンジしていったんですか?
学生時代は試験やコンクールのような、練習して練習して暗譜で弾く、といったような本番ばかりでした。でも今、仕事でオーケストラで弾かせていただく時は楽譜を見ながら弾きますし、学生時代のように練習期間があるわけではない状況で迎える本番は当然ミスまでいかなくてもヒヤッとする場面も出てきてしまうんです。
初めはそれがすごく嫌で、失敗したと落ち込んだ時もありました。周りの人は「大丈夫だよ」と言ってくれたけれど、やっぱり失敗したくないという気持ちがベースでどこかにあったんだと思います。でも回数を重ねていくことによって、少しずつ対応力がついてきた気がします。
練習を沢山重ねて本番で披露する、というのももちろん大事だけれど、音楽で仕事をするようになって、どんな状況でも本番を作り上げる対応力というのは長くお仕事をされている先輩方から現場で学ばせていただきました。
誤解を恐れずに言えば、上手いごまかし方を知ることも大切ですよね。
分かります。もちろんミスをしてもいいとは思っていません。ただ「完璧に弾かないと」という意識はなくなった気がします。それよりもみんなで一緒に弾いている瞬間を楽しみたいという意識が強くなりました。
自分の課題はきちんと覚えておいて、次に活かす。でも今日できなかった事実には落ち込まない、という感覚でしょうか。
学部を卒業してかはどんなお仕事をされてきましたか?
卒業してすぐは、地元に戻って普通のバイトをしたりしていました。練習時間は確保したかったので、早朝にお総菜を作ったり、餃子を焼いたりして、レッスンに通う生活でした。
子どもの頃習っていたピアノの先生が声をかけてくださって、介護施設にコンサートをしに行ったこともあります。クリスマスコンサートもやりましたね。
でも1年経ったあたりから、やっぱり東京に戻りたいなと思うようになりました。
東京に戻ってからはオーケストラに呼んでいただいたりしています。
今後はどんな活動をされる予定ですか?
ご縁がある限りは色々な現場で演奏をしたいです。
また地元でコンサートをしたときに、クラシックだけでなくタンゴやジブリの曲など様々なジャンルの曲を弾いて、それがとても楽しかったので、これからも様々なジャンルの曲に挑戦していきたいなと思いますね。シネマコンサートも何回か経験させていただいて、とても楽しかったので。
元々サントラは好きで聞いていましたし、テレビの音楽番組も割と見るほうでしたし、ロックも聴くし…
最後に今、音楽の道に行くか迷っている中高生の子たち、またその親御さんたちにメッセージをいただけますか?
正直簡単に「大丈夫だよ、目指してみなよ」とは言えないですよね。特にこのご時世、私たちの頃より受験する段階で悩む人達が増えていると思います。
私たちはプロになろうと考えてなくても、「せっかくやってきたから音高にいってみよう」とか「とりあえず音大に行ってみよう」と思えたけれど、やはりコロナがきっかけで、親御さん含めよりシビアに考えていると思います。
かなりレベルが高く才能もあるのに、頭もいいから勉強のほうにいきますとヴァイオリンを辞める子がいるという話も聞きます。もちろんそれぞれの人生ですが、音楽家の道に対して少しでも未練があるなら、チャレンジする価値はあるかなと思います。仮に音大に行って、音楽家になれなかったとしても、それで人生が終わってしまうというわけではないから…
端から見ていると順風満帆に見えていた伊藤さん。悩む姿を周囲に見せることはあまりなかった伊藤さんですが、学生時代から自分自身と真摯に向き合っていたのだとこのインタビューを通して感じました。
どんな相手とも充実したアンサンブルをし、クラシックだけでなく様々なジャンルの音楽にもフレキシブルに対応される伊藤さん。演奏家としても指導者としても今後の活躍が大変楽しみなヴァイオリニストです…!