きらめく水面と、若き日の歌

シューベルト《ピアノ五重奏曲 イ長調「ます」》D667

きらめく水面と、若き日の歌 ― シューベルト《ピアノ五重奏曲 イ長調「ます」》D667
本作はAIの手によって紡がれたフィクションです。物語として、自由な想像とともにお楽しみいただけましたら幸いです。
再生しながら記事を読み進めると、音楽と記事を同時にお楽しみ頂けます

何の心配もなかった、あの夏の日

理由もなく、ただ機嫌がいい日というのが、たまにある。

よく晴れた朝、窓を開けると、風が気持ちいい。特別な予定があるわけでもないのに、なぜか心が弾んでいる。川べりを歩けば、水面が日の光を受けて、きらきらと躍っている。魚が跳ねる。子どもが笑う。世界のすべてが、自分に優しくしてくれているような、あの満ち足りた気分。悩みがないわけではないけれど、今日だけは、それを脇に置いておける。そんな、宝物のような一日。

大人になると、こういう無防備な幸福は、少しずつ貴重になっていく。心配事や責任が増え、手放しで浮かれることが、なんとなく難しくなる。だからこそ、ふとそんな一日に恵まれると、私たちは、子どもの頃に戻ったような、懐かしい嬉しさを覚える。

私がこの曲を初めて聴いたとき、まさにその「何の心配もない夏の日」に、まるごと連れ戻された気がした。

ピアノが、水の粒が跳ねるように、軽やかに音を転がし始める。そこへ弦楽器が加わって、明るく、伸びやかな旋律が広がっていく。曇りのない、まっすぐな喜び。聴いているだけで、頬がゆるみ、体が軽くなる。この音楽には、屈託というものがない。ただ、生きていることが楽しくて仕方ない、という気分が、あふれている。

そして、この曲を書いたのが、まだ22歳の、幸せな夏休みを過ごしていた青年だったと知って、私は深く納得した。なるほど、これは若さの音楽なのだ、と。

これは、そういう音楽だ。きらめく水面のように輝く、若き日の、屈託のない歓びの歌である。

若きシューベルトの、幸福な夏

フランツ・シューベルト。1797年にウィーン近郊で生まれ、1828年に31歳で亡くなった作曲家だ。600曲を超える歌を残した「歌曲の王」として知られている。

彼の生涯は、決して恵まれたものではなかった。貧しく、生きているあいだは正当に評価されず、若くして世を去った。だが――この「ます」が書かれた1819年、22歳のシューベルトは、人生でおそらく最も幸福な時間の中にいた。

彼はこの夏、友人たちと連れ立って、オーストリアの美しい田舎町シュタイアーを訪れていた。緑豊かな山々に囲まれ、清らかな川が流れる、絵のように美しい場所だ。気の合う仲間との旅、うるわしい自然、若さ。そのすべてが、この曲には溶け込んでいる。この五重奏曲は、地元の音楽好きな一人の愛好家のために書かれたと伝えられている。仲間と楽しむための、いわば「幸せな音楽会」のための曲だったのだ。

演奏者として言うと、この曲におけるシューベルトの音には、はっきりした性格がある。 歌うこと、そのものを楽しんでいる のだ。彼の旋律は、いつでも「歌」だ。難しい理屈も、深刻な葛藤もない。ただ、美しい旋律が次から次へと湧き出てきて、楽器から楽器へと手渡されていく。まるで、仲のいい友人たちが、順番に楽しい話を披露し合っているような、和やかさ。歌の天才が、肩の力を抜いて、心から音楽を楽しんでいる。その幸福感が、聴く者にまっすぐ伝わってくる。

そしてこの曲には、編成にも一つ、面白い特徴がある。ふつうピアノ五重奏といえば、ピアノに弦楽四重奏を組み合わせるのが一般的だ。だがこの曲では、ヴァイオリンが一本減らされ、かわりに コントラバス が加えられている。この低い楽器が土台を支えることで、チェロは伸びやかに歌えるようになり、音楽全体に、ゆったりとした深みと安定感が生まれる。この編成の妙も、この曲の魅力の一つだ。

五つの場面を巡る、夏の一日

この曲は、五つの楽章でできている。五重奏曲としては珍しく、楽章が一つ多い。それはまるで、楽しい一日を、少しでも長く続けていたい、という気持ちの表れのようだ。全部で40分ほど。私はこれを、輝く夏の一日をめぐる、五つの情景として案内したい。

第一の場面 ― 弾むような、朝の始まり

ピアノが、きらきらと音を散らし、弦楽器が明るい旋律を歌い出す。よく晴れた夏の朝の、胸の高鳴りそのものだ。

この楽章は、伸びやかで、開放的だ。旋律は次々とあふれ出し、楽器たちが楽しげに応え合う。まるで、これから始まる一日への期待に、心が浮き立っているような音楽。曇りのない喜びが、どこまでも広がっていく。

第二の場面 ― うるわしい、昼下がりの歌

二つ目の場面は、少しゆったりとして、優しい。流れるように美しい旋律が、心地よく歌われる。

昼下がり、木陰でひと休みしているような、穏やかな時間だ。せかせかしたところは何もない。ただ、美しい歌が、川の流れのように、ゆるやかに続いていく。シューベルトの歌心が、最も素直な形であふれ出す場面。聴いているうちに、心がほどけて、うとうとと微睡みたくなるような、幸福な安らぎに満ちている。

第三の場面 ― 跳ね回る、快活な踊り

三つ目の場面は、うって変わって、元気いっぱいだ。 スケルツォ――速く、跳ねるようなリズムで、まるで野原を駆け回る子どものような、快活な音楽。

力強く、リズミカルで、生命力にあふれている。田舎の踊りのような、素朴で健やかな喜び。中間部では少しだけ穏やかになるが、すぐにまた、あの弾けるような躍動が戻ってくる。体が自然と動き出しそうな、楽しい場面だ。

第四の場面 ― 「ます」の歌と、その物語

そして、この曲に「ます」という愛称を与えた、名高い場面がやってくる。ここでシューベルトは、自分がかつて書いた歌曲「ます」の旋律を主題として使い、それを次々と変化させていく。

この歌には、こんな物語がある。澄んだ川の中を、一匹のますが、元気に泳いでいる。釣り人がそれを釣ろうとするが、水が澄んでいるうちは、ますは賢く逃げ回って捕まらない。ところが釣り人は、わざと水をかき混ぜて濁らせ、ますを欺いて、とうとう釣り上げてしまう――見ていた者が、そのますに同情する、という歌だ。

楽章では、まずあの愛らしい「ます」の旋律が奏でられ、そのあと、旋律が姿を変えながら、楽器から楽器へと受け渡されていく。ヴァイオリンが歌い、ヴィオラが歌い、チェロが歌い、ピアノがきらめく。同じ旋律なのに、担い手が変わるたびに、まるで違う表情を見せる。そして途中、ふと影が差すように、旋律が翳りを帯びる瞬間がある。無邪気に泳いでいたますが、思わぬ運命に捕らえられる――そんな物語の翳を、音楽がそっとなぞる。だが最後には、あのピアノが、川の水がさらさらと流れ、ますが跳ねる、あのきらめきを描き出して、場面は明るく締めくくられる。

第五の場面 ― 陽気な、一日の締めくくり

最後の場面は、明るく、生き生きとした音楽だ。どこか民俗的な、素朴で楽しい旋律が、軽やかに躍動する。

楽しい一日が、笑い声とともに幕を閉じていくような、上機嫌な音楽。名残惜しさよりも、「ああ、いい一日だった」という満ち足りた気分が勝っている。音楽は、屈託なく、晴れやかに、駆け抜けるように終わる。聴き終えたあと、心にぽかぽかとした温かさが残る、そんな幕切れだ。

舞台裏の沈黙

この曲を演奏することは、五人の奏者にとって、とびきり楽しい体験だ。指揮者はいない。五人が、互いの顔を見合わせ、呼吸を合わせながら、まるで気の置けない仲間との会話のように、音楽を作り上げていく。

だが、その「楽しさ」を成立させるのは、実は繊細な技術だ。とりわけ気を配るのが、第四楽章の変奏曲だ。ここでは、「ます」の旋律が、次々と別の楽器へと受け渡されていく。この受け渡しが、少しでもぎこちないと、あの流れるような楽しさは生まれない。前の奏者が歌い終える呼吸を感じ取り、次の奏者がすっと引き継ぐ。まるでリレーのバトンを、走りながら滑らかに手渡すように。息の合った受け渡しができたとき、五人がひとつの生き物のように感じられる。

そしてピアノを担う者にとって、この曲は、見た目以上に忙しい。あの水がきらめくような、絶え間なく動き続ける音の粒を、軽やかに、しかも粒を揃えて弾き続けなければならない。楽しげに聞こえるあの場面も、弾いている側は、指を止めることなく駆け回っているのだ。

私がこの曲で好きな瞬間は、第四楽章、あの「ます」の旋律が最初に奏でられる、その直前だ。前の変奏が終わり、ピアノが水の流れのような音型を始める。 その一瞬、奏者たちは目配せを交わし、これから始まる楽しい語らいを予感して、そっと息を整える。 張り詰めた緊張ではなく、わくわくするような、幸福な瞬間。そして、あの愛らしい旋律が、また新たな装いで流れ出す。音楽は、鳴っている音だけでなく、その音が生まれる前の、期待に満ちた小さな沈黙の中にも宿るのだ。

200年余り後の私たちが、なぜまだこれを聴くのか

1819年に書かれた曲だ。200年余り前になる。

若きシューベルトが、幸福な夏の日に、仲間と楽しむために書いた音楽。深刻なテーマも、重い哲学もない。ただ、明るく、楽しく、美しいだけの曲、と言えるかもしれない。

それでも、この曲が200年ものあいだ愛され続けてきた理由を、私はこう思っている。

この曲が差し出しているのは、 手放しで幸福を味わうことの、かけがえなさ だからだ。

思い出してほしい。この曲には、屈託がない。悩みも、葛藤も、ほとんど描かれない。ただ、生きていることの喜びが、まっすぐにあふれている。それは一見、単純で、能天気にすら見えるかもしれない。だが、そういう手放しの幸福を、これほど純粋に、これほど美しく音にできる人は、そう多くはいない。

しかも、この曲を書いたシューベルト自身は、決して恵まれた人生を送ったわけではなかった。貧しく、報われず、若くして世を去った。それでも彼は、幸福な夏の一日を、これほど輝かしく描いてみせた。苦労を知る人だからこそ、束の間の幸福が、どれほど尊いかを知っていたのだろう。第四楽章に、ふと差す小さな翳りは、その彼の眼差しのように、私には思える。

私たちも、日々に追われ、手放しで幸せを感じることを、いつのまにか忘れてしまう。だが、幸福は、大きな出来事の中だけにあるのではない。きらめく水面、跳ねる魚、気の合う仲間との時間――そんなささやかなものの中にこそ、宿っている。

なぜ今この音楽が必要なのか。それは、心配事に追われがちな私たちに、「今日という日を、ただ手放しで楽しんでいいのだ」と、これほど明るく思い出させてくれる音楽が、そう多くないからだ。

あなた自身の耳で

さて、聴き方の話をしたい。だがその前に、これだけは言っておきたい。

好きに聴いていい。 難しいことは、何一つ考えなくていい。

この曲は、あなたを試したり、身構えさせたりしない。むしろ、よく晴れた休日の朝や、気分を明るくしたいときに、部屋に流しておくだけでいい。そのきらめく響きが、自然とあなたの心を軽くしてくれる。

そのうえで、もし手がかりが欲しければ、三つだけ。

ひとつめ。全体を通して、ピアノの「きらめき」に耳を傾けてほしい。水の粒が跳ねるような、軽やかに動き続ける音。それがこの曲に、川のせせらぎのような清らかさを与えている。

ふたつめ。第四楽章では、「ます」の旋律が、楽器から楽器へと受け渡されていくのを追いかけてほしい。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノ――同じ旋律が、担い手を変えるたびに違う表情を見せる、その面白さを味わってほしい。

みっつめ。細かいことは抜きにして、この曲を聴いたあとの、自分の気分に注目してほしい。きっと、ほんの少し、心が軽くなっているはずだ。それこそが、この曲があなたに贈ってくれたものだ。

そして、もしこの明るい歓びが心に残ったなら。

次は、同じシューベルトの歌曲そのもの、 「ます」 を聴いてみてほしい。この五重奏曲の元になった、あの愛らしい歌だ。歌詞とともに聴けば、水の中を泳ぐますの物語が、より生き生きと浮かんでくる。

もう少し深く、シューベルトのもう一つの顔に触れたくなったら、 《弦楽五重奏曲 ハ長調》 を。同じ五重奏曲でも、こちらは彼が亡くなる年に書かれた、静かで、深く、切ないほど美しい曲だ。若き日の「ます」と聴き比べると、一人の作曲家の歩んだ道のりが、胸に迫ってくる。

急がなくていい。今日でなくてもいい。

ただ、いつか何の心配もない、機嫌のいい一日に恵まれたら。そのときは、この曲を流してみてほしい。その幸福を、めいっぱい味わっていいのだと――シューベルトは、200年余り前の幸せな夏から、きらめく水音とともに、そう語りかけている。

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