朝の光のような音楽
ある朝、窓を開けたときに感じる澄んだ空気の冷たさと、そこに差し込むやわらかな陽の光。その感覚を音にしたら、きっとこんな音楽になるだろう ― それが、バッハの《インヴェンション第1番 ハ長調》だ。
私はこの曲を練習するとき、なぜか背筋が自然と伸びる。まるで「おはよう」と言われているようで、気持ちがリセットされるのだ。特別な技巧を要するわけではないが、一音一音が清潔で、澄んだ響きでなくてはならない。だからこそ、弾く側も聴く側も、すがすがしい心持ちになれるのだと思う。
この曲と出会ったのは、まだ学生だったころ。音楽室で最初の一音を鳴らした瞬間、明るいハ長調の響きが部屋いっぱいに広がり、心まで明るくなったことを覚えている。今でもあのときの感覚は、私の中で色あせていない。
作曲家の肖像: バッハという宇宙
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685 - 1750) 。彼は単なる作曲家ではなく、音楽の大聖堂そのものだと私は思う。生涯の多くを教会や宮廷で過ごし、膨大な作品を残した。インヴェンションとシンフォニアは、もともと弟子たちや息子たちの教育用に書かれたものだ。ピアノ学習者なら誰もが一度は手にする教材である。
だが、教育用といえどもバッハは妥協しない。2声だけで構成されたインヴェンションの中に、彼は和声の豊かさ、旋律の対話、音楽の哲学までも詰め込んでいる。演奏していて感じるのは、彼の音楽には「重力」があるということ。どの音も、次の音へと自然に引き寄せられ、流れていく。インヴェンション第1番では、その重力がとても軽やかで、跳ねるように進んでいくのが魅力だ。
音楽の構造と感情の軌跡
透明な対話の始まり
曲は、明るいハ長調のモチーフで始まる。まるで最初の一滴の水が泉からこぼれるように、旋律が弾む。右手の声部がテーマを提示すると、すぐに左手がそれを追いかける。まるで二人の子どもが追いかけっこをしているようだ。バッハの対位法は厳格だが、この曲ではどこか遊び心が感じられる。
軽やかに舞う中間部
曲の中ほどでは、音が高く舞い上がるような箇所がある。音形が次々と受け渡され、響きが少しずつ重なり合う。私はここを弾くとき、まるで空にシャボン玉を飛ばしているような気分になる。音が消える瞬間に、次の音がふわりと現れ、途切れることなく流れていく。
光の中に帰る結末
最後は、はじめのモチーフが再び現れ、明るいハ長調の和音で結ばれる。扉を開け放した部屋に、朝の光が満ちていくようなラストだ。短い曲だが、聴き終わると心が整えられたような感覚になる。
舞台裏の沈黙
インヴェンションは、一見すると易しい曲に見えるが、演奏者にとっては大きな挑戦でもある。特に第1番では、左右の手のバランスが非常に重要だ。片方が少しでも強くなりすぎると、もう片方の旋律が埋もれてしまう。私はリハーサルで、何度も片手ずつの練習を繰り返した。二人の声部が「会話」になっているか、互いに耳を澄ませながら確かめるのだ。
また、休符の間の呼吸も大切だ。短い曲だからこそ、ほんの一瞬の間で曲全体の呼吸が変わる。弾き終えた瞬間、会場がしんと静まり返り、次の瞬間に拍手が起こるあの時間。私はその沈黙の中に、バッハの微笑みを感じる。
この音楽が今を生きる理由
バッハの音楽は、300年近く前に書かれたものだが、まるで現代の私たちの心のために書かれたかのように響く。複雑な情報にあふれる時代にあって、このシンプルな2声の対話は、心のノイズを取り払ってくれる。音楽がこんなにも純粋で、まっすぐでいいのだと教えてくれる。
私はこの曲を弾くと、少し背筋が伸び、深呼吸したくなる。混乱した心が整理され、物事の本質を見つめ直す力をくれる。バッハは私たちに、静かで誠実な時間を差し出してくれるのだ。
あなた自身の耳で
ぜひ、この曲を朝の静かな時間に聴いてみてほしい。コーヒーを淹れながら、あるいは通勤前の5分でもいい。音が一つひとつ、空間にきれいに並んでいくのを感じるはずだ。
そして、もし気に入ったなら、ほかのインヴェンションや、より複雑な3声の《シンフォニア》も聴いてみてほしい。どの曲にも、バッハならではの知性と温かみが宿っている。音楽は、難しい理論を知らなくても、あなたの生活に寄り添う小さな光になれるのだ。
おわりに
音楽は、耳で聴くだけでなく、心で聴くものだ。バッハの《インヴェンション第1番》は、今日という一日を少しだけ美しく整えてくれる朝の光のような存在である。